【週休5日!】京都で隠居生活始めます。

こんにちは~

IT系のスタートアップ企業で働いていた30歳の元サラリーマンさぶろうです。

今回のもくじです!

  • 近況報告
  • 隠居とは
  • 隠居の要点
  • 具体的なプラン
    • 仕事辞めました。
    • 引っ越しました。

 

近況報告

実は10月の激務で倒れ、11月をまるっと休職、12月で退職となりました。

というのも、11月の最後に復職し、働いておりましたが、

最初の頃のあふれるやる気は戻ってこず、仕事に対して意味ややりがいを持てずに懐疑的になる、いわゆる燃え尽き症候群に。

入社当初は、社会を変えるために頑張るぞ!と意気込んでいたのですが、一度メンタル不調になるともう遅くて、仕事に手がつかなくなってしまい、12月末で退職させてもらうことになりました。

 

頑張りすぎはよくないですね。昔から本当はだらだらしていたいのに、遊び惚けていたいのに、人の目を気にして頑張っちゃうタイプだったので、

今回、悪いところが出て限界を超えてしまったようです。持続できない頑張りは身を滅ぼします。。。

 

と、ここまでは、自己紹介みたいな感じです。

伝えたいのはここからです。

 

私、隠居生活を始めてます。

隠居とは

ここで定義する隠居とは、山奥にこもることではなく、

京都市の中心部に住みながらも、家賃を見直し、仕事を見直し、生活費を見直して、

週2日も働いてのんびり生きていきましょうというものです。

けっこうレールから外れる人生編に突入です。

 

一応、以下隠居の定義どえす。

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【刹那的な生き方】人生に疲れた人は明日のことは明日考えましょう。

こんにちは。サブローです。

 

今日は、自分を救ってくれた考え方について、書いてみます。

それは「刹那的」という言葉です。

賛否両論あるだろうなーとは思いつつ、よかったら見ていってください。

 

「刹那的」とは。

あと先を考えず、今この瞬間だけを充実させて生きようとするさま。特に、一時的な享楽にふけるさま。

 

どうでしょう。すごく刺激的で、退廃的で、無責任な匂いがしませんか。

 

よく言えば、最近よく聞くマインドフルネスに近いもので、今に集中して、未来や過去への不安にとらわれないようにしましょうということです。

今の時代、将来への不安やお金の不安、健康への不安を取り除くため、未来のために今は我慢、という考え方が一般的ではないでしょうか。

 

きっと正しいんでしょう。みんな疑いなくそう思っているいるということなので。

もはや考えることもなく無意識下に根付いているといっても過言ではありません。

 

ただね、私はこれによって一回潰れました。

将来は大企業に入って、素敵な家庭を築いて、老後は孫に囲まれて、、、みたいな幻想のために、そこにコミットできそうにない自分に絶望して、就活中の学生時代に家から出られなくなりました。

 

正しさのために、まさに今ここにいる自分が動けなくなっていて、それでも正しさを追い続けるために苦しみ続けることに何の意味があるのかが分からなくなりました。

 

まあうつ状態で考えることは極端ですが、よく寝て、よく食べて、冷静さを取り戻した時にそう思ったので、間違いではなかったのでしょう。

 

未来の自分が幸せであるために、今の自分が我慢する。若さを備えた大事な時間を、未来のためのお金に交換する。

誤解を恐れずにいうと、今を楽しむことを放棄して、未来に想いを寄せることだけをする。耐えれば、きっといつか楽しくなる的な。

 

これが、未来を想像できないくらい人生に絶望すると、生きているのが地獄なんですよね。

 

人生に疲れた方はよく寝て起きて、お金を使いましょう。

それを解決してくれたのが、この「刹那的」な生き方です。

この記事を読んでくれている方はきっと、真面目で、責任感が強く、自責的に物事を考えられる素敵な方だと思います。私も近しい人間でした。

それが故に、苦しんでいることも分かっていらっしゃるのでは。

そんな皆さんだからこそあえて言います。

 

社会的に死なない程度に思い切り羽目を外しましょう。

 

社会的に死ぬってかなりのレベルですので安心してください。

 

夜の飲み屋街で10万円使っても社会的には死にません。

ナンパして失敗しても大丈夫です。成功しても大丈夫です。

突然の思いつきで遠くの地に行きましょう。アウターがあれば凍えません。

急に、誰かに電話してみましょう。ありがとうで締めくくりましょう。

 

今してみたいことに時間もお金もをかけて、他の人がなんていうかは明日考える。

自分の心に正直に羽目を外してみる。最後はありがとうで終わる。

 

私は、全部やってみました。意外となんとでもなりますよ。

 

そのうち、心が生き返ります。

覚悟を決めて開き直っちゃうと、人生が楽しくなります。そしてそのうち、心が生き返ります。

お金は無くなりますが、言い訳がなくなり、自分の人生の責任を自分でとれるようになります。何か大事なものを拾えます。度胸もつきます。

しかも、どうでもよかったはずの日常がいつの間にか帰ってきました。

 

必要なのは覚悟だけ

言うは易しです。

私は、超真面目人間で、覚悟なんてありませんでした。

家族がーとか。仕事がー。でも、とだってが今も盛りだくさんで恥ずかしい限りです。

ただ、3年前、当時の自分の内面を掘り起こして耕して出てきたものが、

今の自分に満足していないという本心でした。

 

一回、やりたい放題に生きてみようと決めて、本当にめちゃくちゃに生きてみました。

そして今がある、今意外とちゃんと生きている。

 

人生なんてそんなものだと思った、今日この頃でした。

 

 

 

 

 

【期待値コントロール】うまくいかない人生の根底にあるもの

こんにちは。サブローです。29歳です。

 

2023年7月までは地方公務員として働き、現在は転職してIT企業で働いています。

が、転職早々、裁量労働制によるハードワークでダウンし、今は実家に帰省中です。

 

取り立てて才能があるわけでもなく、人生なかなかうまくいかないなあと考えながら、日々悶々としているわけですが、どうやら私は、何かを深く考えることが割と得意そうで、3年ほど毎日日記を書いています。

 

せっかくなので、誰か共感してくれないかとブログを書いてみることにしました。

 

今回のテーマは人生への期待値について。

私の近況と白黒思考

私の最近の悩みはもっぱら仕事なんですが、夢と野望に満ちて公務員からITベンチャー起業に転職してみたものの、環境が変わって全然うまくいかない。周りのスピード感やあふれる気力についていけない。周りの人は平気で朝7時から22時まで働き、土日もサービス残業裁量労働制なので、残業ではないですが、、、)をバリバリしている。

 

最初はくらいついていたものの入社当初の緊張の糸が切れるともうついていけない。

そうなると、攻めの姿勢での転職から一転、次はえげつないプレッシャーが押し寄せてきます。もう一回転職したら、市場価値がなくなるぞ、、とか、この短い期間でさらに転職したら、今後もこのまま転がり落ちるだけじゃん、、、とか。

本当はいくらでも別の選択肢があるのに、このまましがみつくか、はたまたダメ人間になるか、しか選択肢が残っていないかのような錯覚に陥りがちです。

 

要は、止まらずまっすぐ成長し続けなければだめだと感じているから、舞台から降りられなくなっていて、しんどくても進み続けるか、すべてを捨てるかみたいな白黒思考になってるんですよね。

思いっきり当事者なので、わかるのですが、これが尋常じゃなくしんどい。

このままいくと、どこかで心身の限界を超えるのが分かっているのに立ち止まれない。立ち止まると、自分の価値がなくなってしまうような気がするし、周りからおいて行かれるような気がしてしまう。

進むも地獄、止まるも降りるも地獄的な。

あれ、なんでこんなに苦しんでいるんだって感じですよね。

自分への期待値は低いほうがいい

という中で、田舎の実家にかえってきました。

全然人のいない道を散歩しながら、ふと気づいたわけです。

 

あれ、自分への期待値、高すぎない??

 

田舎なので、どちらを向いても山に囲まれているわけです。そんで全然人もいない。その辺のおばあちゃんがたまに散歩しているくらい。

育った田舎の人は、もはや、よくも悪くも自分のことなど誰も知らない。

つまり何が言いたいかというと、住んでいる都会を離れたら、誰も自分のことは知らないし、誰も自分に期待なんてしていない。だって知らないんだもの。

というか、あれ、普段住んでいる都会ですら、誰かに期待されて、こうしなさいと言われて、生きているかというと決してそんなこともない。仮に転職したての今の会社を辞めたとて誰も文句は言わない。会社はまわる。

 

じゃあ、期待してしばりつけているのは誰かというと、自分なんですよね。うむ。レールから外れると社会的に死ぬような気がしていて、レールから外れる=ニート、引きこもり。みたいな方程式が勝手に自分の中で出来上がっている。自分が辞めると会社がまわらなくなくなるような過大評価を自分にしている。うむ。

 

でも、別に人手不足の時代なんだから、何かしら働けるし、社会のセーフティネットは結構ある。気がしている。冷静に考えると。

もっと言うとなんやかんや、10年後もご飯は食べれている。飢え死にはしていない自信だけはある。冷静になると。

 

だとすると、期待しているのは自分自身であって、プレッシャーをかけ続けているのは、自分なのではないかと思ったわけです。要するに、自分への期待値が高い。

ご飯食べれてたらOKなら、何一つ悩みがないわけです。

 

まあ、自分も育ってきた環境が親からの過度の期待があったので、原因とかを言い出すときりがないので、そこはどうでもいいとしましょう。原因論は慰めにしかならないので。

 

期待値が低いと何が起こるか分からなくておもしろい

順番が前後しますが、私が転職した理由って、期待値をめちゃくちゃ下げれたからだったのを、いまさらながら思い出しました。

実は公務員になる前の2年間、約5年前、家から出れない時期がありまして、その頃は今と比べ物にならないくらい人生に絶望していました。

まあ、紆余曲折ありまして、どうせ終わった人生なら、自分らしくもっと刹那的に、快楽的に生きようと覚悟を決めて、社会復帰したんですがこれが良かった。

お金は一切たまらなかったのですが、楽しいことにはすぐ飛びつく、ナンパもしてみる、クラブでも羽目を外してみる。明日のことは明日考えるで、人生を送っていたら、気づけば、ポジティブな気持ちで、チャレンジングな気持ちで転職していました。

それが、毎日根詰めて働くにつれて、昔の超保守的な真面目思考に戻ってしまっていたって感じです。

 

保守的で真面目な自分が公務員から、ベンチャーに転職するなんてことが起こるんですよね、公務員になった時には想像もしていませんでした。

 

だとしたら、別にベンチャー企業で通用しないことは、しょうがない。

別にできることを前提に転職してないんだもの。楽しそうな方に飛びついただけだもの。仕事になると急に真面目に、急に責任にしばりつけられていたけども、期待値なんて低いほうがいいし、おもしろいイベントは、期待値が低いから起こるんでしょうね。

 

 

そんな気持ちを思い出した、今日この頃でした。